東京地方裁判所 昭和32年(特わ)190号 判決 1959年4月04日
被告人 株式会社新潮社
右代表者代表取締役 佐藤義夫 外一名
主文
1、被告会社株式会社新潮社を判示第一の事実につき罰金三百万円、同第二の事実につき罰金二百八十万円に被告人佐藤義夫を判示第一の事実につき罰金五十万円に、同第二の事実につき罰金四十万円に
それぞれ処する
2、被告人佐藤義夫が右各罰金を完納することができないときは、金二千円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置する
3、訴訟費用は全部被告人佐藤義夫の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告会社株式会社新潮社は東京都新宿区矢来町七十一番地に本店を置き、主として文芸図書類の出版業を営むもの、被告人佐藤は被告会社の代表取締役社長としてその業務全般を統轄しているものであるが、
同被告人は被告会社の業務に関し、法人税を逋脱することを企て、売上脱漏、架空経費の計上等不正の経理処理方法を講じ、
第一、被告会社の昭和二十八年四月一日より昭和二十九年三月三十一日までの間の事業年度の所得金額は少くとも一一七、八四一、一三五円であつたのにも拘わらず、昭和二十九年五月三十一日所轄四谷税務署長に対し、右事業年度における法人税の確定申告をするに際し、所得金額を七七、二三五、五六五円と過少に申告し、因つて正当税額四九、二三七、七六四円と申告税額三二、一八三、四二五円との差額である少くとも一七、〇五四、三三九円に相当する法人税を逋脱し、
第二、被告会社の昭和二十九年四月一日から昭和三十年三月三十一日までの間の事業年度の所得金額は少くとも八一、五九四、六二五円であつたのにも拘わらず、昭和三十年五月三十一日前記四谷税務署長に対し、右事業年度における法人税の確定申告をするに際し、所得金額を四六、一三七、九一七円と過少に申告し、因つて正当税額三三、六〇八、七八五円と申告税額一八、七一四、四二二円との差額である少くとも一四、八九四、三六三円に相当する法人税を逋脱し
たものである。(別紙(一)乃至(三)修正貸借対照表参照)
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
被告人の判示第一、第二の各行為はそれぞれ昭和三十二年法律第二八号法人税法附則第十六項、右法律により改正される以前の法人税法第四十八条第一項第二十一条第一項に該当するので所定刑中罰金刑を選択し、その金額の範囲内において被告人を、判示第一の事実につき罰金五十万円、同第二の事実につき罰金四十万円にそれぞれ処し、
被告人が右各罰金を完納することができないときは刑法第十八条に則り金二千円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、被告人が被告会社の業務に関し判示第一、第二の各行為をなしたので、旧法人税法第五十一条第一項第四十八条第一項第二十一条第一項に従い、その所定の各罰金額の範囲内において被告会社を判示第一の事実につき罰金三百万円、同第二の事実につき罰金二百八十万円にそれぞれ処し、
訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文を適用して全部被告人に負担させることとする
(量刑の理由)
本件の情状につき考察するに、
(一) 被告会社並びに被告人に不利な点
〔イ〕 本件は被告会社の社長である被告人が中心となつて約一億円の所得脱漏を計画し、昭和二十六年頃より昭和三十年に至る間極めて計画的にしかも継続的になされた犯行であり、その方法たるや売上の脱漏、架空経費、架空仕入の計上等一般に犯行の手段として考えられるあらゆる方法をとり、相当徹底した手段方法を用いていること
〔ロ〕 逋脱税額は判示第一の事実につき約一、七〇〇万円、同第二の事実につき約一、四九〇万円の巨額に上り、国民の最大義務の一つである納税義務に違背し、国家の課税権を侵害すること著しいものがあり、その責任軽からざるものがあること、
(二) 両者にとり有利な点
〔イ〕 本件犯行の動機は次の二点にあり、被告会社の役員が個人的な利潤を追及するが如き利己的な目的に出たものではなく、その動機につき酌量すべき点が少くないこと
(a) 出版事業殊に文芸出版を主とする被告会社の如き事業は、他の企業に比べて安定性が乏しい危険率の高い事業であり、その資産状態は所謂「含み資産」を持ち得ない脆弱なものであり、又大きな出版を企画すれば非常に多額な資金と日時とを要するので、被告人は右の危険性に備えるため簿外蓄積を企てるに至つたこと
(b) 昭和三十一年は被告会社の創立六十周年に当るので、被告人はこれを目標にして文化的に価値ある記念事業として、世界文学大辞典の刊行、「週刊新潮」の発行、有名作家による書下し長編小説の出版、外国作家の招聘、社屋の修築等を企画し、これが遂行のためには、総計約一億円以上の資金を要するが、その資金捻出のためには現在の税制の下では表勘定のみでは到底蓄積困難で簿外蓄積によるの外なしと考え、本件脱税を敢えてするに至つたこと
〔ロ〕 被告会社は、前社長佐藤義亮が明治二十九年七月個人経営として創立して以来、六十余年の長きに亘り文芸出版を主として幾多の優れた価値ある図書を刊行し、わが国文化の進運に寄与したこと絶大なものがあり、その功績は万人の認めるところであること
〔イ〕 本件犯行が発覚するや、被告人を初め被告会社の重役一同深く悔悟、謹慎し、査察、捜査の当時より当公判廷にいたるまで犯行を卒直に認め(但し前記弁護人の主張にかかる被告会社の自己株の点を除く)、従来の放漫な経理方法を改めて所謂ガラス張りの経理に移行し、自発的に修正申告をなし、更に更生決定を受けるに及んで、本件脱税の本税、重加算税、利子税の全額を完納し、改悛の情顕著なものがあり、再犯の虞れなしと言い得ること、
以上の外、被告会社並びに被告人に有利、不利な諸事情を総合勘案して、前記の如く被告会社に対し、判示第一の事実につき罰金三百万円、同第二の事実につき罰金二百八十万円、被告人に対し、判示第一の事実につき罰金五十万円、同第二の事実につき罰金四十万円を以つてそれぞれ量刑処断した次第である。
(弁護人の主張に対する判断)
弁護人は
『本件公訴事実第一の二の中、昭和二十九年四月一日から昭和三十年三月三十一日までの間の事業年度分の所得金額を「八五、四五一、六二五円」と算出し、その金額の算出の基礎である修正貸借対照表の資産の部「有価証券」の当期増額の犯則分を「八五、一九一、一一四円」と算定されているが、その中「三、八五七、〇〇〇円」は被告会社が昭和二十九年五月十八日資本金を一千万円から二千万円に増加した際に被告人が被告会社から株式配当を受け、被告人個人の所有となつた被告会社の株式七七、一四〇株(額面五〇円)を、被告会社が自己株を取得したものと認定して、その金額を犯則分に算出したものであるから、右「三、八五七、〇〇〇円」は前記「八五、四五一、六二五円」より減額すべきものである。蓋し、右七七、一四〇株の中七〇、六六〇株は伊上次郎外十六名の仮装名義株であり、六、四八〇株は被告会社の社員山本由男外五十三名の社員名義となつているが、これはいずれも被告人が、被告人の一族の扶養の責任を負つている関係上、実質上被告人個人の所有株を便宜上前記名義人の所有名義として所持し、当該配当金を主として被告人の一族の扶養資金に充てる目的をもつて設定したもので、被告会社の所有株と目すべきものでないからである』
と主張する。
そこでこの点につき考察するに、
(一) 三井信託銀行株式会社より野村検事あて照会の件回答書(これに添付の元帳等を含む)
(二) 証人長島敬一の当公判廷における供述
(三) 佐藤菊三郎の作成した昭和三十一年四月九日付上申書
(四) 押収にかかる第十期譲渡証書一冊(昭和三十三年証第四二二号の六〇)、第十一期譲渡証書一冊(同証号の六一)、同配当金領収証一冊(同証号の六二)、委任状三枚(同証号の六三)、同右一綴(同証号の六四)、念書一綴(同証号の六五)、同四枚(同証号の六六)
に拠れば、前記株式七七、一四〇株は被告会社の自己株であるから、右株式の金額三、八五七、〇〇〇円を犯則所得中に計上すべきものであることが認められるもののようであるが、右は後記各証拠に比したやすく信を措きがたく、却つて、
A、証人今津三郎、同両家清三郎、同山本酉二、高橋庄八郎、同佐藤俊夫の当公判廷における各供述(前記証拠の標目欄の四三)
B、昭和三十三年十月二十八日付三井信託銀行株式会社より株式会社新潮社宛の報告書(その一)(同四四)
C、昭和三十三年十月二十八日付三井信託銀行株式会社より株式会社新潮社宛の報告書(その二)(同四五)
D、当座勘定元帳写(同四六)
E、証人永野正、同鎌川与五郎、藤田金之助、同松井永孝、同佐藤菊三郎の当公判廷における各供述(同四七)
F、被告人の当公判廷における供述(同五〇)
G、押収にかかる新潮社(個人当時)昭和十九年元帳一冊(昭和三十三年証第四二二号の六七)、会社備付の昭和十九年度元帳一冊(同証号の六八)、昭和十九年度日記帳一冊(同証号の六九)、同二十一年度日記帳一冊(同証号の七〇)、同二十二年度日記帳一冊(同証号の七一)、同二十二年度日記帳三冊(同証号の七二)「株式」と表記する帳簿一冊(同証号の七三)、書画骨董目録二枚(同証号の七四)、会社設立当時の株主名簿(株式会社新潮社出版事業開始許可申請書)一綴(同証号の七五)、佐藤義亮の財産税課税価格等申告書控一綴(同証号の七六)、入金伝票一、〇一四枚(同証号の七八)(以上同五一の(六七)乃至(七七))
を綜合すれば、
(イ) 被告会社は昭和十九年九月一日に設立されたものであるが、これはそれまで被告人の父佐藤義亮の個人経営であつた新潮社を当時の政府の情報局の指示により株式会社に切り替えたものであり、その資本金も情報局の指示に基き百五十万円とした。而して右資本金は個人企業の新潮社の営業資産即ち佐藤義亮個人の資産中から、営業権、有価証券、現金を出資してこれに充てたもので、設立当時の株式の所有者名義は右佐藤義亮の外に、佐藤家の一族である被告人以下十名、小野田通平以下三十六名の仮装名義及び使用人名義となつているが、その実質上の所有権は全額佐藤義亮に属していたものであつたこと
(ロ) 右の名義株は昭和二十一年二月前社長佐藤義亮が社長を辞任したのを機会に、同人から佐藤家一族の名義分はそれぞれ当該本人に譲渡され、その他の名義分は後任社長である被告人に贈与されたが、それと同時に前社長佐藤義亮が被告会社を設立した際被告会社に引きつがなかつた個人経営当時の営業用資産及び有価証券書画骨董等二、二六九、八二五円及びその運用益、当該株式の配当金(但しその株式の中使用人名義分は、その名義期間中当該名義人に現金配当に限り贈与)の蓄積額等も後任社長である被告人に贈与した。しかしこの際被告人が譲渡を受けた仮装名義株や右の各資産は前社長当時と同様、佐藤家一族に一朝事ある場合、又は共同の利益のために使用する目的をもつて蓄積されていたもので、いわば「佐藤財団」とも称すべきものに属するというべく、被告人が譲り受けた後も被告人個人の財産と区別するため従来通り一部の株については仮装名義を用いていたものであること
(ハ) 次に被告会社は昭和二十三年十一月一日三百五十万円、昭和二十四年三月三十日五百万円に増資をそれぞれ行つたが、この二回の増資新株は増資の際の旧株主に比例的に割当てられた。従つて前記仮装名義株に対して割当てられた新株は実質的には被告人に対し割当てられたものであり、その割当てられた新株に対しては被告人個人が自己の資産をもつて払込みをしていること、即ち
(a) 昭和二十三年十一月一日の三百五十万円の増資の際の仮装名義株に対する新株割当は三三、八九四株(金額一、六九四、七〇〇円)で、その払込は被告人が同年五月二十日石黒文平名義にて被告会社に貸し付けてあつた五十万円を同年十月三十日被告会社より返済を受け、その資金と、その頃被告人が従来から所有していた書画骨董類を売却して所有していた手持資金とをもつて増資取扱銀行である三井信託銀行(当時東京信託銀行)に対してなしたものであること
(b) 昭和二十四年三月三十日五百万円の増資の際の仮装名義株に対する新株割当は三九、九二〇株(金額一、九九六、〇〇〇円)であつたが、当時は戦後のインフレの最も甚だしい時期であり被告会社も運営資金に窮していたので、被告人は前記の如く父義亮から贈与を受けたもの、あるいは自ら買求めてあつた被告人個有の財産である貴金属、書画、骨董類を売却した金を被告会社に融通していた。そこで右の増資に当つては、被告人は、自己が藤田金之助名義(昭和二十三年八月四日一〇〇万円)、鎌田与五郎名義(同年十月六日二一〇万円)、松井永孝名義(昭和二十四年一月七日一五〇万円)をもつて被告会社に融資していたその債権合計四六〇万円及びその利息一四五、八五〇円と自己の手持現金とをもつて右の仮装名義株に対する新株を含む全部の増資新株の払込に充てたものであること
この点に関し検察官は、増資払込業務を担当した三井信託銀行証券課に対し払込期日の前日である昭和二十四年三月二十九日被告会社から増資払込金として五〇〇万円の払込がなされ、その五〇〇万円は被告会社が同日同銀行運用部から借入れた五〇〇万円の小切手でもつて充当されているから、右の増資新株は被告会社の自己株であると主張するが、被告会社の増資の目的は資本の充実にあり、実際上は被告会社が個人からの借入金を資本に振替えることが真の目的であつた。しかるに増資の登記手続のため現金払込の証明を必要としたのに、当時の株主には、手持資金が不足していたので、被告会社が前記銀行より借入れた小切手を被告人個人が一時融通を受けて払込手続を完了すると共に、一方では被告人がこの借入小切手を決済するため、自己が被告会社に対して有していた前記債権元利合計四、七四五、八五〇円と手持現金二五四、一五〇円合計五〇〇万円と右借入小切手の債務五〇〇万円とを相殺したものであることが認められるので、検察官の右の主張には賛同しがたいこと、
(ニ) 被告会社は昭和二十九年五月十八日更に二千万円の増資をしたが、その増資は株式配当によつたもので、これは旧株主の持株に比例して分配されたので、旧株が被告人個人の所有に属する限り、その配当された新株も、当然被告人個人のものとなつたというべく、従つて本件昭和二十九年事業年度において被告人が被告会社より右増資に際し、伊上次郎外十六名の仮装名義で取得した七〇、六六〇株及び社員山本由男外五十三名の社員名義で取得した六、四八〇株合計七七、一四〇株(金額三、八五七、〇〇〇円)はいずれも被告人個人の所有に帰したものをいうべきであること、
をそれぞれ認定することが出来、他に右認定を左右するに足る証拠は存在しない。然らば本件第二の事業年度の所得金額八五、四五一、六二五円から右金額三、八五七、〇〇〇円を除算すべきであるとする弁護人の主張はこれを理由ありとして認容すべきものであると考え、本件所得金額の算定に当り右金額三、八五七、〇〇〇円を除外した次第である。
(裁判官 東徹)